私たち大橋建設は柳川近郊で、家庭の状況も変わり、住まい方やライフスタイルも大きく変えたいけれど、何をどうしたら良いのかわからないと悩んでいる人たちのために、とことんじっくりお付き合いしながら、家族みんなが幸せになれる木の味を活かしたステキなお家を、大工さんのシッカリした技術で提供することに生きがいを感じている工務店です。

大橋建設

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代表大橋敏則から柳川の皆さまへ

代表あいさつ

 

自分の人生を改めて振り返ると、まさに“一期一縁”

改めましてこんにちは、大橋建設代表取締役の大橋です。
このページでは、大橋建設がなぜ今の家づくりにたどり着いたのか?
その理由についてお伝えしたいと思います。

私たち大橋建設の家づくりは、これまで私たちが体験してきた様々な出来事から学び、試行錯誤を繰り返しながら辿り着いたものです。
そして、その中で様々な人たちとの「ご縁」がありました。

出会った全ての「ご縁」が全て、今の大橋建設の家づくりに繋がっています。
会社を代表して、私の想い、そしてこれからの大橋建設についてお伝えさせて頂ければと思いますので、しばしお付き合いいただけますと幸いです。

 


 

社長(会社員時代)「帰らないと、どうしょうもないな…」

私はそう呟きました。

当時24歳。務めていた会社の親会社が倒産し、それを期に退職した私は、あろうことに働きもせず借金をしながら福岡で遊びまわる毎日でした。
このまま仕事もせずに遊んでいても、借金を返せる見通しも立たない。
いい加減に観念するときが来たのです。
「親父、柳川に帰るよ」
これが私の大工としての始まりであり、そして大橋建設の始まりでした。

 

鬼の父との修業時代

 

「オレの下で働け!」
借金をして遊びまわるバカ息子を烈火の如く怒ったあと、親父は私にそう言いました。

私の父は、根っからの大工です。
そして周囲から「鬼」と呼ばれるほど、厳しい人でした。
親父は小学校を卒業後してすぐに大工見習いを始めて、それから独立して数十年。
油の乗り切った大ベテランの大工です。

そんな親父の下で私は大工見習いを始めたのですが、「鬼」と呼ばれる親であり師匠の親父には、当時男のプライドをズタズタにされるほど、毎日怒られ続けました。
(くそっ、いつか親父を黙らせてやる・・・見てろよ)
今では大切な経験をさせてくれた親父に感謝していますが、当時20代の私には毎日毎日父親から浴びせられる罵倒に、腹が立って仕方がありませんでした。

社長(少年時代)でも思えば親父は、昔から「厳しいお父さん」でした。
私は三人兄弟の真ん中なのですが、小さいころの兄弟の仕事は、大工さんがかんな掛けをした後に出る「かんなくず」を燃やすことでした。
「働かないなら、お小遣いはあげない」
そんな親父の方針もあって、兄弟でかんなくずを燃やす毎日だったのを、覚えています。

正直な話、少年の頃の私は建築には全く興味がありませんでした。
親父の厳しさもあり、建築と言う仕事には距離を置きたいと思うほどでした。
でも同時に「兄と同じ学校に行きたい」という想いも強く、工業高校の建築科に進んだ兄の背中を追うように建築科を受験。しかし、あっけなく受験に失敗し、仕方なしに土木について学ぶことになったのです。

そんな経緯もあって、柳川に戻って親父の下で働くまでは、私は大工としてお客さまの家を建てる「親父の世界」を知らずに育ちました。
「親父を絶対に見返す、いつか勝ってやる」
24歳で初めて親父の世界に飛び込んだ私は、その厳しさに負けまいと、自分なりに必死に大工修行を続けました。

 

初めての大仕事

 

今思えば、親父は私を急ピッチで大工として育ててくれました。
厳しく叱る一方で、チャンスをたくさん与えてくれたのです。
当時の私には、それに感謝する余裕もありませんでしたが、思い返せば親父も還暦を間近に控えていたので、引退も考えていた時期だったと思います。
今思えば、よく私が帰ってくるまで待っていてくれたなという想いと、人としても大工としても育ててくれた親父には、感謝の気持ちでいっぱいです。
でも毎日のように親父に怒鳴られることは、あまり気分が良い物ではありません。
「親父に聞くのは嫌だ」
そんな思いもあり、私は親父ではなく、仲間の大工さんの所に教わりに行くことも少なくありませんでした。そして休みの日には資格の勉強。
振り返れば柳川に帰ってからの2年間で、休日はたったの2日間。それ以外の時間は、全て大工としての修業と勉強に明け暮れました。

そして、修行も3年目に突入したある日、親父は私に大きなチャンスを与えてくれました。初めて、お客さまの家を施工させて頂くことになったのです。
当然ながら相当なプレッシャーがありました。
「間違いがないようにしなくちゃ…」当時はそれだけを考えることに精一杯でした。
でもこの出来事は後に、家づくりの大変さとやりがいを、私に教えてくれたとても貴重な体験となりました。
お施主さまにとって、家づくりは一生に一度のもの。そして家づくりには当然お金がかかります。
それなのにお施主さまは、私たちに差し入れを持ってきてくださったり、色々な配慮をしてくださるんです。
「お施主さまは、こんなに私たちに期待してくださってるんだ…」
そう思うのと同時に「お施主さまのために、がんばらなきゃ」という想いが湧き上がってきました。当然、それまで以上に仕事に力も入ります。
「間違いがないようにしなくちゃ…」と思っていた自分の心が、いつの間にか「お施主さまのために」という気持ちに変わっていったのです。
そして無事に工事は終了。
お施主さまからは、沢山の「ありがとう」の言葉をかけて頂きました。
「オレでも期待に応えることが出来た…オレも大工になったんだ」
初めての大仕事を終えて、無事に大工として家を建てられたということ。
そして、お客さまの期待に応えることが出来たという事。
この出来事が自分自身にとっての自信に繋がったことを覚えています。

 

あとの事は友達の大橋に任せた

 

5年後、35歳になった私は親父から大橋建設の屋号を引き継ぎました。
しかし、引き継いだ当初は全く仕事がありませんでした。
「どうしたら大橋建設に仕事をお願いしてくれるんだろう…」
この間、他の会社の現場に応援に行っていたこともあり、私自身色々な家づくりの考え方、技術に触れていた時期でした。
吸収できるものはどんどん吸収して、いつか自分の会社で発揮しよう。
そんな想いもあったので、仕事が無い現実は私にとっては辛い物でした。

そして、この時。
私の人生を大きく変える出来事が起こったのです。

親友が亡くなりました。

彼とは中学からの幼馴染であり、同じ大工でした。
そして仕事の話も私生活の話も、なんでも打ち明けて話す仲でした。
お互いまだまだこれから。
そんな時に親友が亡くなってしまった。
私にとって、それはとてもとても大きな出来事でした。
彼の死と、もう一つ。
ある事実を聞かされたからです。
彼が亡くなった数日後、私は知人からその事実を聞かされました。
亡くなる直前、彼は、取引先にこんな電話をしていたそうなのです。

「オレはもう長くない。あとの事は友達の大橋に任せたから」

その話を聞いた時の気持ちを、上手く言葉で表すことが出来ません。
命を亡くす。
それを覚悟した人が、最後の最後に自分を気遣ってくれた。
嬉しさと、悲しさと、ありがたさと。
色んな感情が自分の中を駆け巡りました。
そしてなにより、若くして亡くなった親友の、人としての大きさ感じました。
仕事をしたくても出来ず、人生に幕を下ろした人がいる。
私は自分がいかに幸福なのかと言うことに気が付きました。
今仕事が出来てることが、どれだけ幸福なことなのか。
「仕事が出来ることに、もっと感謝しなくてはいけない
人を大事にするって、こういうことなんだ」
今以上にがんばろう、彼の分もがんばろう。
お客さまの満足度を上げるだけじゃダメだ。
お客さまと大橋建設。
人を大事にして、人と人との繋がりを、もっともっと大切にしなくてはいけない。
人生の最後に、彼は私に大切なことを教えてくれました。

 

今があることに もっと感謝を

 

親友の死から一年。
彼が遺してくれた仕事をこなす毎日だった私の身に、また一つ大きな出来事が起こりました。
ある日、家に帰ると妻の姿が見当たらなかったのです。
突然の出来事に、私は呆然としました。
彼女は、家を出て行ってしまったのです。
柳川に帰ってから、ほどなくして結婚をし、子どもにも恵まれましたが、私は仕事ばかり。
そんな生活が、彼女を苦しめてしまっていたのかもしれません。
色々探し回りましたが、何処を当たっても、結局は見つかりませんでした。
「自分が悪いんだ…オレの人生は間違っていたのかもしれない…」
それから自分の人生を振り返る、まるでテレビドラマのような、いわゆる「荒んだ生活」が始まったのです。
お酒を飲みに行けば、ちょっとしたことで口論をし、店のカウンターで酔いつぶれる。
「女なんか…もう信用できない…」
人生のどん底。
少なくとも、当時の私はそう感じていました。
そして、いつしか仕事は全く手につかなくなってしまいました。
親友の意思も、お客さまからの期待も。
全てを忘れていたのです。
気づけば私の周りには自分の子ども意外、誰もいなくなってしまいました。
でもそんな時期、ただ一人だけ、私のことを気遣ってくれた人がいました。
「大橋、最近どうだい?」
2週間に一度、必ず電話で声をかけてくれる商工会の先輩でした。
彼は堕落した私にお説教をするわけでもなく、ただただ黙って話を聞いてくれました。

そして、そんなやり取りを2年も続けたある日、先輩は私にこう言いました。
「今度工場を建てるんだけど、大橋、やってくれない?」

その言葉を聞いて、ハッとしました。
「オレは、今まで何をしていたんだ…」
働きもせず、酒に溺れて、愚痴ばかりこぼして。
人に哀れみを感じてもらいたいのか?
なんて情けないんだ…そんなの、汚いだけじゃないか。
先輩は自分を気遣ってくれるばかりか、仕事の依頼まで…
そして思い浮かんだのは、亡くなった親友のことでした
「今があることに、もっと感謝しなくては。よしやってやる!」
こうして私は、また大工として働き始めました。
先輩は、たったひとりだと思っていた自分を、暗闇から元の場所に導いてくれたのです。
自分を導いてくれた先輩のお陰で、私は人を大好きになることが出来ました。
先輩には、頭が上がりません。

 

“一期一縁”の人生が私の財産

 

2010年、大橋建設は会社として登記し、株式会社大橋建設として改めてスタートを切りました。

キチンとした形で社会に認められる会社にしたい。
そんな想いで正式に会社として動き始めた大橋建設も、今では幼馴染の高山、協力業者だった田中、大工の島津に、高山の元同僚である平。そして、私の新しい家族である妻と子ども達。そしてお客さま。
沢山の人たちの支えとご縁があって、大橋建設は今日までやってくることが出来ました。
そしてそのご縁が全て、今の大橋建設の家づくりに繋がっています。
大工としての修業時代があるから、人への感謝をより感じることが出来ました。
親友がいたから、人との繋がりの大切さがわかることが出来ました。
先輩がいたから、人が大好きになることが出来ました。
そして、新しい家族と仲間がいるから、楽しいことも辛いことも、一緒に乗り越えていくことが出来ました。

“一期一縁” これこそが、私の人生の大きな財産です。
そして、だからこそ、一棟一棟の家に心を込めたいと本気で思っています。

家づくりには様々な工法や、考え方があります。
工法や形、そして出来栄えは、確かに大事です。
でも家は、ただの箱ではありません。

1「住まう人が笑顔で健康に過ごすための、人生を見届ける場所」であるべきです。
家族という「ご縁」を大切にして頂きたい。
そして私たちとお客さまとのご縁も、大切にして頂きたい。

「大橋建設を通じて、人と人とのご縁を繋ぐ」

柳川と言う小さな町で、人として当たり前のこと、当たり前にやる。
そしてその過程で私たちは「大橋建設を通じてのご縁を繋ぐ」、それを行っていきます。

きっとこれからも、沢山のご縁が私たちを待っていることでしょう。
そのご縁を大切にしながら、この柳川と言う地で家づくりを行っていきます。
柳川の皆さま、これからも大橋建設をよろしくお願いいたします。

 


 

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